2月25日の主日礼拝メッセージ(要約)を更新しました。
【みんな大切だから】
聖書 イザヤ書53:11−12
抜粋《彼は自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために 彼らの罪を自ら負った。》
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イザヤ書53章には「苦難の僕」について語られている。「わたしたち」は「苦難の僕」が苦しむのを見、嘲り、軽蔑していた。しかし、苦難の僕は抵抗することなく【彼は自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する】というのだ。その苦しみの実りとは【多くの人が正しい者とされる】ということ。そのために彼は【彼らの罪を自ら負った】のである。
【多くの人の過ちを担い 背いた者のために執り成しをしたのは この人であった】(53:12)と指し示される苦難の僕。苦しみの実りを見て満足する、力を誇示する強さとはまったく違う本当の強さを持つ苦難の僕の姿にイエス・キリストが指し示されている。 絵本『こいぬのうんち』(平凡社)にはこんな物語がある。道端に落とされたこいぬのうんちは心ない言葉によって役に立たない自分はどうすればと悲しむ。しかしキレイな花を咲かせたタンポポと出会い、対話を通じてこいぬのうんちは自分はここにいてよかったのだと思えるようになった、と。
イエスの苦しみの実りは、私たちが信仰によって義とされる(正しい者とされる)という信仰義認の恵みに生かされることにある。そのために、イエスは多くの人が正しい者とされるため彼らの罪を自ら負い、多くの人の過ちを担って背いた者のために執り成しをしたのである。
イエスは苦難の僕としてその命を全うされたからこそ、あなたの苦しみや痛みを心底理解することができる。あなたがここにいてよかったと思えるようにと、あなたの苦しみや痛みの一つ一つにも寄り添っておられる。
(2018年2月25日主日礼拝)