1月7日の主日礼拝メッセージ(要約)を更新しました。
- 平松牧師
- 2018年1月7日
- 読了時間: 2分
【思いを新たにして】
聖書 ルカによる福音書2:41−52
抜粋《すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」》
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両親(ヨセフとマリア)は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。巡礼祭の一つだったからである。それはイエスが12歳になったときも同様であった。ルカ福音書2章41節以下はそのときのエピソードとして描いている。
祭りの期間を終え、ナザレへの帰路、ヨセフとマリアは巡礼団の中に我が子がいないことに気づいた。すでに1日経っていたが、彼らは探しながらエルサレムまで引き返した。3日の後、彼らは神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしている我が子イエスを見つけた。
マリアは「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」と心配と安堵が入り交じった言葉が思わず口に出た。それに対し、イエスは「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と。ヨセフもマリアもその言葉の意味が分からなかったという。
そういったエピソードを紹介した後に、ルカはイエスが神と人とに愛され、知恵が増し、背丈も伸びてすっかり成長したイエスの様子を伝え、3章以下に備える。「イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。」(ルカ3:23)とも記される公生涯の始まりが描かれていく。公生涯でのイエスの使命は十字架の死と復活に集約される。その始まりを前に、 ルカはイエスの死と復活の福音について想起させようとする。
実に、信仰は十字架と復活の主イエス・キリストと出会うところから始まるのである。
(2018年1月7日主日礼拝)
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