12月3日の主日礼拝メッセージ(要約)を更新しました。
【希望のかなた】
聖書 イザヤ書51章4−11節
抜粋《主に贖われた人々は帰って来て 喜びの歌をうたいながらシオンに入る。頭にとこしえの喜びをいただき 喜びと楽しみを得 嘆きと悲しみは消え去る。》(イザヤ書51:11)》
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今年も「主を待ち望むアドベント(待降節)」を迎えた。アドベントはラテン語のadventus(到来)に由来し、クリスマスに備えてキリストの到来を待ち望む4週間を過ごす。待つ日々、どのように待つのか。
古代イスラエルはソロモンの死後、イスラエル王国(北の10部族)とユダ王国(南の2部族)に分裂。その後、紀元前8世紀、イスラエル王国はアッシリアによって滅亡した。さらに紀元前6世紀、ユダ王国は新バビロニアによって滅亡し、多くの民が首都バビロンに強制移住させられた。このバビロン捕囚は約半世紀ほど続き、新バビロニアを征服したアケメネス朝ペルシャによって捕囚は終わりを告げ、帰還事業が始まった。
ただ、長期にわたる強制移住の生活は捕囚民に深い闇を落としていた。神の民としてのアイデンティティや信仰のあり方を見直すために立ち上がった者もいたが、エルサレムへの帰還を望まない者も多くいた。第二イザヤ(40〜55章)はそんな捕囚民をもどかしく思い、神の希望を語り続けた。「聞け」と呼びかけ、多くの信仰的な証言、神の約束、神の出来事を思い出せようとする。そして、今や神が生きて働いておられることを確信し、新しい一歩を踏み出そうではないか、と。
苦難の僕として生きることによって神の義を証ししたキリストの到来を待つことこそ、希望の見えない中においても約束を実現される神への希望を持って新しい一歩を踏み出す大きな原動力となる。
(2017年12月3日主日礼拝)