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10月1日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2023年10月1日
  • 読了時間: 2分

洗礼者ヨハネは荒れ野という特別な場所で活動しました。「ラクダの毛衣を着て、腰に皮の帯を締め、イナゴと野蜜を食べ」「荒れ野に現れて」、洗礼を宣べ伝えました。そんなヨハネにはどこか世俗を捨てた孤高の預言者といったイメージがいだかれます。しかしイエス様は違います。イエス様は「ガリラヤへ」行かれます。ガリラヤはイエス様の出身地ですから、ガリラヤに戻られたと書いてもよさそうなのに、福音書はわざわざ「ガリラヤに行かれた」と記します。ここには大切なことが示されています。「神の国は何か」を考えるヒントがあります。マルコ14章、最後の16章でもそう記されています。14章ではイエス様が弟子達にこれからご自身に起こることを教えられた後、私は「あなたたちより先にガリラヤに行く」と予告しました。16章ではイエス様が十字架刑で殺された後、イエス様のお墓にやってきた女性達に、「白い長い衣を着た」主の使いが、「あの方は、あなた方より先にガリラヤに行かれる。かねて言われていた通り、そこでお目にかかれる」と告げました。このようにマルコ福音書は「ガリラヤに行く」という言葉に特別な意味を込めています。都に住む人達からは辺境の地、暗黒の地、異邦人のガリラヤなどと蔑まれていた地方をイエス様は行き巡り、「神の国福音」を宣べ伝えたのです。イエス様が特に心を寄せられたのは貧しい人々です。罪人という烙印を押されて苦しんでいた人達です。障害や病を身に負う人達です。イエス様はその人達と交わり、パンを分かち合い、罪の赦しを宣言し、神さまの祝福を告げられました。しかしイエス様のそうした活動は、貧しさをもたらす社会のひずみを問い、他人に罪人という烙印を押して満足する宗教家達への痛烈な批判、政治的・宗教的な批判でした。神の国とは、神さまが直接ご支配される国です。神の国は彼岸にあるのではなく、この世が変わることによってもたらされる神さまの圧倒的な恵みに他なりません。


 
 
 

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