top of page

2024年2月4日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2024年2月4日
  • 読了時間: 2分

神から特別な使命を与えられて遣わされた洗礼者ヨハネを捕らえるという人間の暴挙によって、人間の罪にさらに罪が増し加えられた、器になみなみと罪が満ちていたところに、最後の一滴が落ち、あふれてしまう、罪がもうどうしようもなくこの世界にあふれてしまった。その時に、まさに「時は満ち」たのです。神の国は近づいたのです。主イエスが宣教を開始されたのです。洗礼者ヨハネの無残な最期を含めて、彼の生涯の歩みのすべてに神の愛が注がれていたことを彼自身も後に知ることになります。罪もないのに斬首されることに神さまの愛がどうして感じられるかと多くの人々は考えます。歴史的に見てもキリスト教の伝道者の多くが殉教し、悲惨な最期を遂げました。しかしなお彼らは神さまの愛と自分自身の救いを確信できました。「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる、もはや死はなく、もはや悲しきはも嘆きも労苦もない」(黙21:4)神は自ら人と共にいて、その神となってくださったからです。


 洗礼者ヨハネはあくまでも主イエス・キリストの道備えをする者でした。彼はそれに満足し、ただ神の御言葉だけを伝えたのです。神さまからの愛を込めた懇ろな語りかけがその頂点に達したのは、主イエス・キリストにおいてこそなのです。主イエスによって与えられたのは、もはや単なる悔い改めの勧めではなくて、神さまの独り子である主イエスが私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さり、その犠牲によって私たちの罪が赦された、その救いの恵みへと招いてくださったのです。今朝も主の聖餐にあずかりましょう。私たちも自分に示された主の道を歩み続けましょう。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年4月13日 説教要旨

マタイの福音書では4~20章までがガリラヤ地方での宣教、およびエルサレムに着くまでの出来事を記しています。そして21章からエルサレムでの出来事が始まるのです。エルサレムは神のご計画における舞台の中心です。「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者...

 
 
 
2025年4月6日 説教要旨

神の国(天の国)の住民にふさわしい者は、「天の父が完全であられるように、完全な者となりなさい」という教えです。道徳において完全でありなさいという意味ではありません。天の父のご性質とは、すべての人間に対する恵みにおける「公平の完全さ」です。悪い人にも良い人にも、正しい人にも正...

 
 
 
2025年3月30日 説教要旨

17節は主イエスの時代のラビ(教師)たちの表現です。「あなたは律法を廃棄している」それは「あなたの解釈は律法の意味を弱めている、あるいは、緩めている、破壊している」ということであって、あなたの解釈は正しい解釈ではないという意味だということです。反対に、「わたしは律法を成就し...

 
 
 

Comments


カテゴリー
最新記事
アーカイブ
© Copyright2017日本キリスト教団青森教会
250413_礼拝Artist Name
00:00 / 37:20
bottom of page