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2024年2月11日 説教要旨

五千人の給食の奇蹟」は、四つの共観福音書がみな共通して記している記事です。少々設定が異なっているところがありますが、共通している点は、食事をするために、人々を草の上に座らせることでした。イエスは弟子たちを通して群衆たちを組にして、「座るように」命じたことです。このことが共通している重要な点です。「座らせて」から、人々の必要を満たしたのです。それは有り余る供給でした。不足がなにひとつなかったのです。主イエスが「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れんで」、神の民が神の民として生きるすべての必要を神ご自身が満たされるということを象徴しています。

マタイとマルコは、「四千人の給食の奇蹟」も記していますが、奇蹟の記された目的は同じです。五千人も四千人の奇蹟も「私たちのすべての必要を満たすことのできる方である」という同じメッセーす。羊飼いと羊のたとえは、神と民とのかかわりを表す比喩です。
民を青草の上に座らせて、必要な糧を与えるイメージとして、有名な詩篇23篇が思い起こされます。それだけではありません。これらの奇蹟は「人里離れた所で」行われました。本来は荒野という意味です。かつて出エジプトした神の民は荒野においても必要なその日の糧を恵み(マナ)としていただきました。主が導かれた四十年の荒野の旅において、不自由なく糧を食べ、着物は古びず、足がはれることもありませんでした。マナ(天からの恵み)は何のためだったのでしょうか。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるため」(申命記8:3)でした。主イエスも大勢の群衆を深く憐れみながら、教えられたのです。パンの糧を与えつつ、モーセ5書(五つのパン)と預言書と諸書(二匹の魚)とからなる「聖書」(ユダヤ教での呼び方はタナク)の御言葉を。

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