2024年1月14日 説教要旨
主イエスと弟子たちが、舟に乗って湖の向こう岸にある、ゲラサ地方にやって来ました。この地に至るまでに、主イエスと弟子たちは大変恐ろしい嵐に見舞われました。主イエスはゲラサ地方のたった一人に会うために、嵐の海をくぐりぬけて来たのです。そのたった一人とは誰であり、どのような状態の人だったのでしょうか。伝道宣教とはたった一人のためになされるのです。当時の律法に照らしてみる時に、汚れた墓に住む、汚れた霊に取りつかれた男が、汚れた豚の群れのすぐ近くにいた。これは、とことん汚れている状況であり、聖なる神とは、無縁の状況であったということが分かってきます。そんな場所へ住む異邦人を主イエスが訪ねて来て下さったのです。自分自身を傷つけている異邦人は苦しさの中で叫びます。すでに1章でも見たとおりです。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ(1:24)悪霊は神との無関係を強調します。ひいては無関係を装い隣人性を引き裂きます。
悪霊にとりつけれた男とは、現代日本の私たちに似ていませんか。大人も青年も、多くの子どもたちが自分自身に自信をもてないでさ迷っています。「自己肯定感」がない人たちは、自分を傷つけ、苦しみの中でさ迷いながら、やがては他人を傷つけ平気でいられます。どれほど現代の教育が比較環境で育てられ、多くの働き人が格差社会の中で生きているでしょうか。孤立している人々が何と多くいるでしょうか。孤立している場に「悪霊」がひしめきます。この男性は主イエスの愛と出会うことで、孤立の壁が打ち砕かれ、まともな「人間」へと立ち帰ることができたのです。
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