2023年2月5日 説教要旨
- aomori1879
- 2023年2月5日
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「聖徒の交わり」という言葉に、私たちはうろたえてしまうのかもしれません。自分は「聖徒」と呼ばれるのにふさわしくないと思うからです。確かに私たちは罪の赦しが必要な罪人にほかなりません。それにもかかわらず、使徒信条は、教会は「聖徒の交わり」であると告白します。それは、私たちの交わりのただ中に主イエス・キリストがおられるからです。ヨハネの手紙一に、「わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです」(1:3)とあります。「交わり」とはギリシア語のコイノニアで、共有すること、共にあずかることを意味します。日本語の「交わり」は、人付き合い、人間関係というニュアンスが強いですが、「コイノニア」には一つのものに共にあずかる、一つのものを共有して共に生きる、というニュアンスがあります。たいへん驚くべきことに、ヨハネの手紙一は、私たちがあずかるよう招かれている交わり、つまり教会は、御父と御子イエス・キリストを共有する交わりなのだと言います。私たちの交わりの中心に神がおられる、それゆえ、私たちの教会での交わりが「聖なる交わり」とされるのです。この世的な人間関係の集まりや社交の場ではありません。教会は信仰のコイノニアです。礼拝の祝祷はコリント第二13:13に依拠しています。「主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にあるように」聖霊が生み出し、導いてくださる「コイノニア」はなんと素晴らしいことでしょうか。それは、互いの信仰を励まし、具体的な助け合いを生み出します。けれども、「聖霊のコイノニア」の最も素晴らしいことは、わたしたちを「キリストの心・愛」へと導き、主にある一致へと導くということです。
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