2023年11月26日 説教要旨
安息日は人のために定められました。休息と喜びの日として守るように定められた日で、金曜日の日没から土曜日の日没までが安息日です。神が天地創造をされ、すべてを完成なさった後、第7日に安息されたことに由来し、定められました(出エジプト記 20.8-11)。申命記には、出エジプトの出来事と結びつけられて、安息日を守るようにと言われています(申命記 5.14-15)。会堂での出来事、「片手の萎えた人」がいました。“何らかの理由で片手が動かなくなった人”ですが、手足が動かないというだけで当時は差別されることもありました。片手の萎えた人は、もはや働くこともできません。もはや喜びも生きがいもない枯れてしまった人生そのものを象徴しているかのようです。そんな人が会堂の隅にいて、ほっつんと寂しそうに座っているわけです。その人の「いのち」を救わんがために主イエスは招きます。「いのち」は「たましい」とか、「人格」とか、「存在そのもの」と訳せるような言葉です。イエス様はこの人の「たましい」「人格」を救おうとしておられた。“枯れてしまった人生”を救おうとしておられた。「真ん中に立ちなさい」
会堂の真ん中、安息日の真ん中に神さまの愛が待ち受けています。神さまの憐みが待ち受けています。すべての被造物を創られた神さまの奇跡が待ち受けています。真ん中にあって、すべての人は神のかたちを回復することができるのです。創造主の祝福を受けることができるのです。わたしたちもこの「いのち」の不思議さと奇跡を期待し、これからもこの世の真ん中(教会)に集いましょう。
Comments