2023年11月19日 説教要旨
当時、水やワインなどの飲み物は革袋に入れて持ち運ばれていました。ですから革袋は容器として生活の必需品であったようです。新しい革袋には柔軟性がありますが、長年使っている革袋はだんだん柔軟性を失い、固くなってゆきます。この古い革袋に、新しいぶどう酒を入れてはいけないのです。新しいブドウ酒が発酵することによって生成される炭酸ガスで革袋がふくれあがり、遂には破けてしまうかもしれないからです。このように当時の人々にとって非常に身近なたとえを用いて、主イエスは「新しい内容には、新しい形式が必要であること」を語られています。主イエスが伝えようとする神の国の福音が、発酵を始める《新しいぶどう酒》として表現されています。《新しいぶどう酒は、活き活きと発酵をし続けています。そのように、福音の言葉もいま生きて働き続けており、私たちを変え、私たちを生かし続けているのだ、という想いも込められています。神の国の福音を入れる《新しい革袋》として、主イエスが生前大切にされた振る舞いがあります。それは、「共食」です。皆で共に食事をすること。教会特有の言葉を用いると、「愛餐」。主イエスは生前、この共なる食事を特に大切にされました。福音書にも主イエスが弟子たちや人々と食事をされている場面が何度も出てきます。主イエスが共にいてくださる食卓においては、一人ひとりが、神さまの目にかけがえのない存在として尊重されています。主イエスが共にいてくださる食卓は、何と喜びと輝きに満ちた場であることでしょうか。《主の園、そこには喜びと楽しみ、感謝の歌声が響く》(イザヤ51:3)。私たち一人ひとりが、この喜びの食卓へと招かれています。
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