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2022年4月10日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2022年4月11日
  • 読了時間: 2分

エルサレムの人々は棕櫚(なつめ椰子)の枝を道に敷き、また手にもって、振りながら、勝利の王としての主イエスを喜び迎え入れました。多くの 群衆は「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」と喜んで叫びました。ホサナとは、ヘブライ語で、ホーシーアー・ナー「どうか、救ってください」と言う意味です。敵の虐げ、圧政から解放してくれる、勝利者イエスを、人々は、「ホサナ、ホサナ」と言って、喜び迎えたのです。 ところが、数日後には、同じ群衆が、イエスに対して「十字架につけろ」と叫ぶのです。「ホサナ、どうか、 救ってください」と歓喜して迎え入れた人たちが、僅か数日で、「十字架につけろ」と叫ぶとは、いったい、どういうことなのでしょうか。多くの群衆は、救い主の本当の勝利が何かが、分かっていなかったのです。 ある人たちは、救い主メシアは、ローマ帝国の支配から解放してくれると期待していたでしょう。イスラエルの独立こそが、彼らの悲願でした。そのような政治的、あるいは、軍事的な勝利を目指すのなら、主イエスは、 子ロバではなく、強い軍馬に乗って入って来られたなずです。しかし、主イエスがもたらす勝利は「十字架による勝利」でした。 普通、戦いは、力が強い方が勝ちます。弱い者は、負けるのです。しかし、聖書は、「負けるが勝ち」という 勝利があることを教えています。柔和と謙遜のみが最後には隔ての壁を取り崩すのです。この世の様々な暴力に対して、十字架は自己犠牲的な平和を訴えかけます。十字架は徹底的な愛の実践を訴えかけてくれます。子ロバに乗った主イエスは「平和の行進」をなされるのです。

 
 
 

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