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2022年7月17日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2022年7月18日
  • 読了時間: 2分

主イエスは、病気によって死んでしまった愛する友ラザロをたずね、彼を墓から呼び出して甦らせます。そういう意味では11章はラザロの死ということが一貫した物語の軸になっています。主は「…泣いているのを見て、心に憤りを覚え」「イエスは涙を流された」(11:33、34)と記されています。しかしここで主イエスが一番問題にさ主イエスは、病気によって死んでしまった愛する友ラザロをたずね、彼を墓から呼び出して甦らせます。そういう意味ではラザロの死ということが一貫して物語の軸になっています。しかしここで主イエスが一番問題にされていることは、ラザロの死ではありません。むしろ本当の問題は、絶望に陥っているマルタの死であり、マリアの死であり、弟子たちの、そして私たちの死ではないでしょうか。それは肉体の死のことではありません。マルタもマリアも私たちも生きているのです。でも主イエスは、その私たちの死を、ここでは一番の問題にしておられます。つまり、それは死でもってその人の生涯のすべてが終わるという現実を前にしての、希望なき生の問題です。信仰のない命は死も同然であるという考えです。この世での人間が、死後に復活する(生まれ変わる)ということを信じることだけが正しいキリスト信仰ではありません。「わたしは復活であり、命である」と言われる方を信じる者は、「今、ここで」、地上の幕屋の上に、キリストを着るのです。「生きていてわたしを信じる者はだれでも、決して死ぬことはない」それは死の回避ではなくて、死してなおその死を乗り越える、死の向こう側に表れ出る豊かな命です。ラザロが生き返ったように、主イエスを信じる者の最後は決して絶望の死ではないのです。

天寿を全うするという表現がありますが、私たちはみな、寿命でこの世での生涯を終えます。しかし命を寿ぐ(ことほぐ)方は、昔も今も変わらず共におられるのです。

 
 
 

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