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2022年6月26日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2022年6月26日
  • 読了時間: 2分

「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」主イエスこそが真の霊的な糧であり、霊的な飢え、渇きをいやすことができるということを強調された宣言です。「エゴ― エイミー宣言」とも言います。

この主イエスというお方こそが、主イエスの十字架という出来事こそが私たちの救いなのです。主イエスの個々の教えというよりも、主イエスという存在そのものが、私たちの救いであり、福音である、希望なのです。このお方によってのみ、私たちは、死の先にある、天の御国に生きる希望を与えられたのです。永遠の命とは、霊魂不滅のことではありません。主イエスの十字架によって、罪赦されて、天の御国に生きるという希望。この希望に、今、この時、生かされている、ということです。罪によって断絶していた神様との関係が、十字架の贖いによって、回復させられ、神様との新しい関係に生きるということです。十字架において、主イエスは、その肉を裂き、血を流され、ご自身の命を、ささげてくださったのです。ですから、この主イエスご自身が、永遠の命のパンなのです。主のみが私たちに全き充足を与えてくれます。これさえあれば、もう他に何も要らない、という全き霊の充足です。

「わたしが 共にいる 治らなくても よいではないか/わたしが 共にいる 長患いでも よいではないか/わたしが 共にいる 何も出来なくても よいではないか/わたしが 共にいる それで よいではないか/或る晩 キリストが そう言って下さった。」(原崎百子)

 
 
 

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