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2022年5月1日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2022年5月1日
  • 読了時間: 2分

マルコは「イエスは別の姿でご自分を二人の弟子たちに現われた」(16:12)としかありませんが、ルカはその様子を詳しく描いています。

エルサレムから11キロほど離れ所にあるエマオという田舎の村に、失望落胆して帰って行く二人の弟子たちに主エスは寄り添う形で現われました。弟子たちは主イエスであることに気がつきません。そこで主はエルサレムで起こった一連の出来事はすべて聖書(これは旧約聖書のこと)で預言されていることを説き明かされました。彼らがもし自分たちの村に着いた時、「いっしょにお泊りください」と無理に頼まなかったとしたら、彼らは自分たちに聖書のことを語ってくれた方が主イエスだと分からなかったかもしれません。二人の弟子は食卓の席で主がパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡されたとき、彼らの目は開かれ、主イエスだとわかったのでした。しかも、彼らは主が聖書を説明してくださった時も、心が燃えていたことに気づきました。このことが重要です。

主はなおも先へ行かれようとされる様子でしたが、どこへ行かれるのでしょうか。弟子たちにとってもエマオが最終の目的地ではありませんでした。残りの弟子たちが集まっているエルサレムへ急ぎ帰りました。そこからどこへ行こうとするのでしょうか。主イエスと共に、神の愛と平和で満たされる神の国を目指そうとされるです。


世々の教会も、聖書の解き明かしを踏まえながら、私たちの間にあるともされる神の国を目指し歩み続けるのです。「時は満ち、神の国は近づいた。」悔い改めて、この世に従うのではなく、主イエスに従い歩むのです。

 
 
 

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