2022年3月20日 説教要旨
- aomori1879
- 2022年3月19日
- 読了時間: 2分
今日の話の要点は「マグダラのマリア」に対する神話や俗説を強化することではなく、ルカ福音書が報告している出来事の確認です。つまり、イエスの活動の最初期から女性たちも弟子となっていたという埋もれがちな事実の確認です。この出来事を確認することがわたしたちの教会形成にとって役に立つからです。わたしたちは「弟子」と聞くと、すぐに「十二人の男性弟子」(1節)を思い浮かべ、その人たちだけが弟子と呼ばれうるかのように誤解します。しかし、聖書の中には十二人以外にも「弟子」ないしは「使徒」と呼ばれている人々がいます。当然に女性の弟子も使徒もいたはずです。
しかし今日の箇所を読む限り、女性の弟子がいたようには読み取れません。ここには、どの本文を選ぶかという問題と、選んだ本文をどのように翻訳するかという問題の二つが存在します。3節の後半「彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」とありますが、「彼らに仕えた」が直訳です。さらに「彼らに」としているところを(バチカン写本)、別の有力な本文は「彼に」としています(シナイ写本、アレクサンドリア写本)。「彼らに」を採ると、「女性たちは男性弟子たち一行に仕える」という上下関係を伝えます。そレに対して「彼に」を採ると、「女性たちはイエスに仕える=弟子となる」という意味を伝えます。この立場は、同じイエスに仕える仲間として、男性十二弟子と三人の女性弟子たちが対等の関係だったことを示唆します。婦人たちという翻訳にも問題がありそうです。聖書協会訳は「多くの女たち」と訳しています。マリア、ヨハナ、スサンナの三人の女性は、「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた」(2節)という共通の経験を持っています。当時病気の原因は悪霊によると考えられていました。そして、三人の中でも最も重病だったのが「マグダラ出身と呼ばれていたマリア」です。
主イエスと共に放浪の旅をした非常に多くの女性の行動も記念し続けなくてはいけません(3節)。ましてや、マリアは主の復活の最初の目撃者、証人となった人物ですから。教会には男性も女性もなく、その働きはとても多様性に満ちたものでありました。今日の日本の教会はこの初代教会の姿にもっと力と知恵を得ねばなりません。
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