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2022年3月13日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2022年3月13日
  • 読了時間: 2分

「狭き門」と言えば、よく入試や就職のときによく使われているため、競争率がすごく高い、入るのに難しい難関の門を思い浮かべるでしょう。楽ではなく難しい苦労や困難を克服して入れる門を考えます。しかし聖書で語る「狭い門」とは、決して入り難い門ということではありません。それは入り難いよりは、多くの人が入らない門です。多くの人々にとって見いだし難い門であり道であります。確かに「狭き門」に入るということは苦労や苦難が待ち受けているかも知れません。しかし、主イエスは「狭い門から入りなさい」と弟子たちや集まっている人々に語りました。山上の説教の最後に「狭き門」は命に通じる門だと強調されました。命とは「永遠のいのち」つまり神の国(天の国)に迎えられる門であり道であります。ここで、門と道は「人の生き方」、選択の決断として語られています。本当に生き生きとした豊かな人生を生きるためには、あえて「狭い門」に入り、「細い道」を歩く決断を迫っています。聖書には滅びに通じる門と、命に通じる門という二つの門があると教えています。創世記13章1~13節には、アブラハムと甥のロトの話が記されています。神さまの御心に従い、アブラハムは農耕に適さない丘陵地帯を選び、ロトは肥沃な低地を選びます。アブラハムが狭き門を選び、ロトは多くの人が通る広い門を選んだと言えます。そして、ロトが選んだ低地は、著しく道徳的に退廃した地域で、後に神が火をもって滅ぼしてしまいました。

わたしたちは、どちらの門を選択しながら今まで人生の道を歩いてきたでしょうか。時に門は狭く、道は細くても、その道を選択したときには、何か自分が救いの恵みにあずかっていると感じられなかったでしょうか。イエス・キリストが門であり道であり命なのです。主イエスに従い歩むことです。失敗し、つまずき、離れそうになっても、悔い改めながら、恐れず従い続ける、主に信頼し続けることで、必ず内面の豊かさを味わうことができます。

 
 
 

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