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2022年2月27日 説教要旨

  • aomori1879
  • 2022年2月26日
  • 読了時間: 2分

私たちが唱えている「主の祈り」には、最後に「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」という言葉があります。この部分は、後になって主の祈りに付け加えられたものであり、歴代誌上29章11節を典拠にしていると考えられています。「偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、主よ、あなたのもの。まことに天と地にあるすべてのものはあなたのもの。主よ、国もあなたのもの。あなたはすべてのものの上に頭として高く立っておられる。」

この世では、神ならぬものが力をふるっているように見えても、それはいつまでも続くのではない。最終的なご支配は、限りなく神のものでありその支配原理は「愛」なのです。神の「愛」の偉大さは、小さきものにまで目を留めることがおできになることにあります。全知全能だけが神さまの力ではないのです。また、私たちに与えられている賜物を神さまのご栄光のために用いるべきです。「自分のようなものは」といって卑下するのは正しくありません。神が用いてくださるのであれば、喜んですべての賜物を生かしましょう。神さまを崇められることを本音で求める姿勢さえ忘れなければ、自分を誇る高慢から守られます。一方、自分よりも他の人が用いられるとき、ひがんだりねたんだりすることからも守られます。それが、「栄えはなんじのものなればなり」ということの生活上の知恵です。私たちが生きる世界は、神のご支配が行き届いていないように見えるかもしれません。神の力よりの悪の力がはびこっているかに見えるかも知れません。神の栄光が辱められるような、人間世界の醜さが渦巻いているように思えます。しかし、その見える現実を超えてなお、神さまの真実は歴史を通して貫かれているのです。それが「限りなくなんじのものなればなり」という宣言です。この宣言を失うと、私たち人間は希望を失うのです。

 
 
 

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