11月12日の主日礼拝メッセージ(要約)を更新しました。
- 平松牧師
- 2017年11月12日
- 読了時間: 2分
【星を数えるように】
聖書 創世記15章1−18節前半
抜粋《主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。》
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アブラムは神の声に耳を傾け、聞き、従った信仰の持ち主。しかし、子孫繁栄という神の約束がなかなか実現しない現実を前に、思い描いてきた将来とは違う方向に向かっている現実を前に、彼は【わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか】と神に問うようになっていた(創15:2)。
神に対する不信感や憤りがつのるアブラムを外に連れ出して、神は【天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。…あなたの子孫はこのようになる。】(創15:5)と告げた。アブラムは大切な何かに気づき、神を心から信じる者となり、それゆえに神は彼を義と認められた。
アブラムは【(約束の)土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか】(創15:8)と尋ね、一歩を踏み出そうとした。信仰に生きるとは行動を伴うものである。微かな神の声に耳を傾け、聞き、従うことが神の守りと備えの中に生かされているという信仰的な確信と経験につながる。それがいかに大切なことか。
アブラムは安らかな最期が約束された。同時に、イスラエル民族の途方もない苦痛の年月の歩みも告げられた(創15:13)。大いなる暗黒が覆う中で、神の守りと備えの中に生かされているという信仰的な確信を持ち続けることがいかに難しいことか。しかし、神はその大いなる暗黒の先に大いなる祝福があることを約束された(創15:14)。そのことを忘れてはならない。
私たちは、十字架の主、復活の主イエス・キリストによって、星の数ほどに大いに祝福されている存在であると知ることが何よりも大切である。
(2017年11月12日主日礼拝)
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